研修プログラム・募集要項

後期研修医 編

長谷川 卒後6年目(執筆当時)
現在の診療科:感染症

【飯塚病院での後期研修を終えて】
総合診療科/感染症科フェローの医師6年目の長谷川です。後期研修より飯塚病院で勤務しております。
自分は札幌出身で初期研修を北海道の市中病院で行いました。初期研修終了時には将来内科医として働くことを決めることはできましたが、まだまだ実力不足で自分自身で合格点をだすことはできず進路に悩んでいました。
学ばせて頂ける最後のチャンスだと思って、知り合いも友達も誰もいませんでしたが勇気をもって福岡県の飯塚病院での後期研修を決めました。 実力がなく新しい環境に戸惑う日々でしたが、優秀な先輩医師、相談にのってくれる素敵な同期、頼もしい後輩医師、コメディカルの方々に優しく声をかけてもらって支えてもらい、無事に研修を送ることができました。
医師5年目の時にチーフレジデントを務めさせて頂く機会をもらいました。レジデントのサポート、レジデントとスタッフとの中間管理職としての働きが今の医師人生に活きています。聖路加国際病院や水戸協同病院などの病院間交流を大切にし、今でも全国のチーフと一緒に学会のワークショップ活動を行うなど交流が続いています。
総合診療科での後期研修終了後は、引き続き感染症診療も学ぶことのできる総合診療科/感染症科フェローとして勤務しています。
コンサルタント業務やワクチン外来、発熱診療に関わらせて頂きました。コミュニケーション、保健所とのやり取り、病院全体に関わる責任のある仕事をさせて頂き、またひとつ成長することができた貴重な機会だと実感しています。
2020年10月からは総合診療科 病棟チームのチームリーダーとして勤務しています。
チームには専攻医、初期研修医の先生がいて一緒に診療しています。OBOGの先生方が作り上げてきた飯塚病院の研修 の「教育」の伝統を壊さないように、日々患者さんからのベッドサイドでの学び、コメディカルとのコミュニケーション、チーム内でのカンファレンスや学んだことシェアを大切に、日々メンバーからのヒアリングを行い、より良い研修を送ることができるように心がけています。1人だけだった自分がここまで来ることができたのは、飯塚病院での恵まれた環境のおかげです。
自分が飯塚病院でたくさん学ばせて頂いたことを、今度は自分が還元していく番です。もし自分がもう一度後期研修先を選ぶ立場に戻れるなら、間違いなくもう一度飯塚病院での研修を選びます!


北野 卒後6年目(執筆当時)
現在の診療科:頴田

「先生に全部を診てもらいたいなぁ」
家庭医・総合診療医としてこのように言われると、医学的に可能かどうかは別にして、素直に嬉しくなります。
私が高校生の時に臨床研修医制度が開始され、患者さんのたらい回し事件が起こるなど、一般メディアから「総合的に診ることが出来る医者を」と強く叫ばれていました。そのため、おのずと社会のニーズは総合診療なんだなぁと素人ながらも感じ、家庭医・総合診療医になりたいと思っていました。どうせ研修するなら有名どころで研修したいという浅はかな理由と、一方で本当に家庭医でいいのかという不安もあったため、病院総合診療医(ホスピタリスト)チームと家庭医チームの両方がある飯塚病院で後期研修を行い、現在家庭医スタッフとして在籍しています。
家庭医はプライマリヘルスケアを主に対応しますが、診療する患者さんのステージは慢性期だけでなく、急性期や回復期・リハビリ期、終末期など多岐に渡ります。そのため様々な領域を知りトータルコーディネートしていくことが求められますが、自身の臨床能力だけでなく医療資源、多職種の特性など把握しながら協働して診療に当たらなくてはなりません。
飯塚病院では一般的な内科系の疾患や、救急や小児科など“科”としての研修を中心に行い、家庭医のホーム病院である頴田(かいた)病院では、外来・病棟・在宅など様々なセッティングで、家庭医に必要なものを学んでいきました。あるときはHCUを中心とした人工呼吸管理などを要する場で研修したり、またあるときは、訪問診療で終末期の対応をしたり、と。このように当プログラムでは二施設(飯塚病院と頴田病院は車で15分の距離!)で様々なセッティングを経験できる恵まれた環境にあります。
初期研修医みたいに目まぐるしく研修していくと、「家庭医ってなんなんだ!?」と簡単にアイデンティティ・クライシスを起こします。それを懸命に支えてくれるスタッフやシステムが当院にはあり、私も何度も助けられました。今はレジデントを支える側です。
多様な環境下で研修してきましたが、家庭医療の奥深さを踏まえると、私自身まだまだ未熟です。患者・家族や社会のニーズを汲み取りながら、冒頭の内容を思ってくれる方が増えるような医療を提供できるよう、日々勉強中です。


細川 卒後5年目
(執筆当時)
現在の診療科:GIM

こんにちは、飯塚病院 総合診療科 卒後5年目の細川 旬です。
5年経つと後輩もできて、指導医と後輩の間に挟まって診療をする場面や、後輩に指導する場面が増えてきました。今回は、そんな時に僕がいつも大事に思っていることを、中学の頃の思い出とともにお届けします。
僕は中学から大学までソフトテニスをしていました。中学時代は縁あって、その頃大学生だった方(以下:コーチ)に部活外で練習を付けてもらっていて、毎週2〜3回くらいは友達4人で学校の部活が終わった後に19時~21時まで練習していました。その頃の僕たちはとても多感な時期で、そんな時期にコーチから教わったことが今でも僕の大事なものになっています。
ソフトテニスは中学までは基本的にダブルスがメインです。ダブルスではゲームが始まる時、ボールを自分のペアに渡す場面がよくあります。僕も中学の頃、ボールを投げて渡したりラケットで渡していたのですが、ある時コーチに手で持って「直接渡す」ように注意されたことを覚えています。ダブルスや団体プレーをしたことがある方は経験あると思いますが、調子が悪いときや試合の流れが悪いときは、お互いの空気感も悪くなることがよくありますよね。泣きっ面に蜂です。そういう時こそ「直接渡す」。面と向かってコミュニケーションを取ることで2人で1点を取りにいけるように、次に繋げていくように教わりました。
職場でもチームで仕事をすることが多く、お互いに思いやりと優しさを持ってコミュニケーションをとることは、大人になった今でも大事なことだと感じます。雰囲気が悪いときほど、ボールを「直接渡す」ように、お互いに寄り添い合うことで良い結果が出せると思います。
また、コーチは僕たち中学生との練習でも一番楽しんでプレーしていたことを覚えています。僕たちも、コーチと一緒に練習するのが楽しくて、僕たちにとっては憧れのヒーローのような存在でした。僕が大学までテニスを続けた理由は、自分もそういう存在になりたいという思いがあったのは間違いありません。
「楽しんでいる」人は魅力的に見えるし、エネルギーを感じます。「楽しむ」ってかっこいいなと思います。職場でも、一緒にいると楽しいし、一緒に仕事をしたいと思ってもらえるような存在になりたいと思っています。
僕が今回お伝えしたかった大事に思っていることはこんな感じです。どうだったでしょうか?分かりにくかったですかね(笑)まあ、それもご愛嬌ということでお願いします。
最後に、中学生の頃にこんな思い出が作れたのも、いま社会で働けているのも、両親と妹のおかげだと思っています。また、今こうやって後期研修医として学べているのは嫁の支えがあってこそだと思っています。そして、今までお世話になった方々、現在お世話になっている方々のおかげで今があると思っています。感謝しています、僕は幸せ者です。
長くなりましたが、ここらでバトンを次に繋げようと思います。拙い文章でしたが、読んでくださってありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。


池田 卒後5年目
(執筆当時)
現在の診療科:GIM

皆さん こんにちは
飯塚病院 総合診療科 医師5年目の池田政勝です。
飯塚病院の門を叩き、入職して2年目に入りました。私が飯塚病院 総合診療科を選んだ理由はいくつかありますが、特に病棟管理、医療のアプローチ、仕事に対する価値観に関して、同様の目標、姿勢を持つ同僚達と仕事がしたい。そして日本で最先端のHospitalistを経験したいということです。1年間飯塚病院のGIMを経験して「飯塚病院に決めてよかった」と日々思いながら仕事をさせて頂いています。やはり働く上で同じ方向性、姿勢を持つ仲間と仕事が出来る事はストレスなく仕事をするために非常に大事なことだと実感しています。
空いた時間にLectureがあり、時には自分がスライドを作成したりと教育の環境は大学病院より整っています。初期研修医時代に飯塚病院は軍隊方式だと聞いていましたが、決してそのような環境ではありませんでした。特に意外だったことは助け合う文化、教え合う文化、知識を共有しあう文化が根付いている事です。研修医やその他の医師は確かに他の病院より優れた方が多いとは思いますが、人を蹴落としてまで優秀になりたい人はあまり向かないような気がします。
現在、私の超えるべき壁が2つあります。
1つ目は後輩に教える時期に移行しつつあり、それを実行していくということです。教える中でわからない事を突っ込まれたらどうしようという不安や心配がありましたが、上級医達の話を聞く限り、わからない事の突っ込みを勉強することで更に自分の理解深まるものなのだと自覚する事が出来るようになってきました。徐々に自分も後輩に教える作業を増やしていこうと思います。2つ目に他職種との関係です。初期研修医の頃からそうでしたが私は自分の想像した仕事配分、時間などが狂うことが苦手です。そのためつい予定外の事が起こったりすると、感情的になる場合があります。当院に入職して以降、問題が起こった時は様々な上司が絶妙な位置から根気強く、繰り返し暖かいフォローと指導をして下さいました。将来の医師像としては当科小田先生のような誠実で暖かく、気配りを持つ医師を目指しており、長い道のりになるかもしれませんが、日々努力していきます。
2年目にして、ようやく心を許せる親友が同僚に2人出来ました。(飯塚病院としては一つ上の先生になりますが、医師歴としては同期の救急科の堤君、同じ科の細川君です。)
私は飯塚病院に出会えて本当によかったと感じています。今このエッセイをみている皆さんもいいい病院に出会えるといいですね。もし飯塚病院GIMが気になったらいつでも見学に来て下さい。


上野 卒後5年目
(執筆当時)
現在の診療科:頴田

飯塚病院 総合診療科 総合診療プログラム(家庭医)専攻医3年目の上野です。
私は福岡県内の大学を出て、関東の大学病院で初期研修を行い、後期研修から地元福岡へ戻り飯塚病院で研修をしています。
私が家庭医を目指したきっかけは、94歳でいまだ現役で地域医療に従事している祖父の背中を幼少期から見続け、“疾患”だけでなく“病い”や“患者背景”も診ていて、患者さんやその家族から慕われている祖父の姿に幼いながら感動したのがきっかけでした。
祖父のような家庭医になりたいという強い想いから、プログラムに定評のある飯塚・頴田総合診療プログラムに入りました。
現在は、飯塚病院の関連施設である約100床の頴田病院で外来、病棟、在宅のセッティングをシームレスに診療しています。亜急性期~慢性期~終末期をメインに診ており、患者さんがどのような場所でどんな人生を送りたいか、患者・家族・多職種で何度も話し合いながら"その人らしい"人生を全うできるよう、支援しています。
数ヶ月前までは、飯塚病院の重症診療班(救急/HCUチーム)で研修し、急性期管理を学びながら、刻一刻と病態が変化する患者に、どうしたらベストな医療を提供できるか、病態把握や治療介入の判断を日々チームで議論しながら診療し、非常に充実した研修を送ることができました。そんな研修の中で様々な重症患者を目の前にして、「この患者さんが望む生き方って何なんだろう、どのような人生を送りたかったか、話し合いをされてきた事があったのだろうか…」というモヤモヤにも沢山直面してきました。
急性期~終末期まで様々なフィールドで研修をすることで、illness trajectoryの位置を意識しながら診療ができるようになり、外来・病棟・在宅診療でACPを行うタイミングがより見えてきたと思います。
当科は、しっかりとした教育体制の中、様々なフィールドで研修ができ、指導医・研修医共に切磋琢磨している環境であるため、非常に恵まれていると確信できます!
興味のある方の見学・研修を心よりお待ちしています!!


岩佐 卒後3年目
(執筆当時)
現在の診療科:GIM

飯塚病院 総合診療科 後期研修医
3年目の岩佐と申します。
僕は初期研修は福岡市内の病院で行い、後期研修から飯塚病院に来て今年で3年目となります。実は僕の出身は北海道で、医学部入学と同時に九州に来ました。九州の大学を選んだ理由としては、入試の問題もあったのですが、ずっと寒いところで育ったので何となく南国に対する憧れもあったことも大きかったです。九州は北海道とは全く違う土地柄ですが、本当に住みやすい場所で、気づけば今年で11年間も住みついています。
もともと医師を目指したきっかけといえば、体調を崩した時にいつも親身になって対応してくれた地元の町のお医者さんに対する憧れからでした。将来は自分も地域医療を担って地域の支えになるような医師になりたいと考えるようになり、現在もその考えは変わっていません。総合診療科で研修をしようと考えた理由も地域医療をしたいと考えていたことがきっかけで、総合的にある程度広い範囲を網羅できるようになりたいと考えていました。
福岡県内に全国的に有名な飯塚病院 総合診療科があったため、実際に見学してみてもとても勉強になると思い応募しました。研修を開始して3年目になりますが、症例数が非常に豊富で教育体制もとても充実しており、優秀で優しい周りの先生方に支えられながら非常に有意義な研修ができています。まだ研修は半年残っていますが、ここに来て本当に良かったなと思っています。
今後は九州の地でも地域医療を担いたいと考えていますが、まだまだ実力も足りないので、これからも日々努力を絶やさずに頑張っていきたいと思います。
最後に、飯塚病院 総合診療科はとても勉強になり、働きやすい環境だと思います。日本全国から様々な先生が集まって日々切磋琢磨しており、このような環境は本当に恵まれていると思います。興味のある方はぜひ一緒に働きましょう。


能美 卒後3年目 (執筆当時) 現在の診療科:GIM

【飯塚病院に来てみて】
総合診療科所属内科専攻医1年目の能美です。初期研修は沖縄の市中病院で少人数ながら同期皆よく助け合い,日々の当直も含め多量かつ多様な経験を積ませていただき非常に充実していました。沖縄以外での生活と体系的な内科教育に興味を持ち、医師3年目の2020年4月から飯塚病院に参りました。とはいえ前任地では離島での勤務もあり十分に他院の見学なども行けない中で、先輩もいたし、人が沢山いて、いろんなことが勉強できそうだな、一度覗いてみよう!ぐらいの軽い気持ちで飯塚に参りました。そんな自分が飯塚の総合診療科で働いてみて感じたことが2つあります。
[1]とんでもなく働きやすい
飯塚病院の総合診療科の特徴の1つが重症患者を専門にするチーム、外来をチーム、一般病棟チームに分けられていることです。このおかげで、朝9時の外来開始までに7時に来てラウンドして大慌てでカンファに出席もしながら病棟の指示出しをして、外来中も急変患者の対応をし、下手すると午後も外来があって、その合間をぬって手技をしてあっという間に17時でそこから回診して指示を出してあっという間に20時・・・みたいなことがないです!!多重皿回し状態だとどうしてもミスが起きやすく、また重症患者さんの対応が遅れたりしがちですが、一つ一つのタスクに集中できる体制が整っているので丁寧かつ落ち着いて診療が出来、結果として1日の仕事が早く終わり早い日では18時前に帰宅できることも有ります。
自分自身はこういった労働環境の点について後期研修を選択するときに全くと言っていいほど考えていませんでした。しかし、飯塚にきてから妻の妊娠がわかり、出産、育児という生活の大きな変化がありました。飯塚だからこそ家族との時間も大事にしながら勉強ができたと感じています。医師が育休を取るという思想・発想すらなかったのですが、飯塚ではスタッフの方でも育休を取得されている先生がおり、自分もとるよね?と当たり前のようにお声がけいただきました!!そこで夏休みと合わせて合計2週間のお休みをいただきました。実際に自宅で妻と共に全力で子育てに取り組めたことは、一人の人間として自分の大きな成長の糧になったと感じています。快く僕を送り出し、その間病棟を支えてくださった小杉先生・佐住先生・末永先生には本当に感謝しています。
また当直業務というものは、全科対応&救急車も外来も病棟callも対応しながら24時間ぶっ続け+翌日も昼間まで仕事というのが自分は当たり前と思っていました。しかし飯塚では病棟当直は病棟のみに集中でき、かつ、指導医とペアでの当直になる機会が多いため安全かつ的確に学びと経験を得られます。救急当直も外来と救急車で役割が分離され、また小児科・産婦人科・外科の外来は別れています。日勤・準夜勤・深夜勤の3交代性です。長時間労働で疲弊せず、数に忙殺され・イライラすることが少ないです。
[2]全職種が働きやすくミスが起きにくいシステムを作る文化
飯塚の教育制度が充実していること、特にEBMを重視していることなどは他の先生も書かれていると思います。実際医師としての成長というと、特定の病気を勉強した、手技ができるようになった、こんな経験をしたということに重点が置かれると思います。
飯塚でももちろんこういった医学の勉強はたっぷりできます。しかし、組織づくり・仕組み作りという視点を持てたことは医療者として成長するに当たり飯塚に来たからこそ学べたことだったと考えます。
飯塚病院の総合診療科は「他職種は総合診療科の最大の顧客である」という視点を持ち、医師のみならず他職種がどうすればミス無く、無理なく、再現可能性をもって働けるのかということを意識していると感じます。例えば、チームリーダーからの日々の指導ではどのようにしたら、我々の日々の指示を実行してくださる看護師さんたちが働きやすいのか、医師にとっては大きな手間ではないちょっとした業務がクラークさんたちの業務をいかに楽にしてくれるのかといった点まで含め指導を頂くことが出来ます。また病棟で起きたヒヤリハットについても適宜小田先生を始めとするスタッフの皆さまが介入いただき、建設的な雰囲気で問題解決を図っていく文化があります。以上です。
飯塚病院の総合診療科はたくさんの人がいます。そして人が集まる理由が有ります。皆さんにそんな飯塚病院の魅力が伝われば幸いです。是非一度興味をもっている方は見学へお越しください!


光廣 卒後3年目(執筆当時)
現在の診療科:GIM

飯塚病院 総合診療科所属 卒後3年目の光廣です。
初期研修医は約500床規模の別病院で修了し、3年目からこちらにうつってきました。
初期研修先も総合内科は強い病院でしたが病院見学にて飯塚病院に魅力を感じ、こちらで学ぶことを決めました。私は初期研修医の間ずっと進路に迷っており、内科系に進むと決めた後もどの内科も興味深く、決めきれませんでした。そこで、特定の科に所属するのではなく、内科全般を学ぶこととし、病院を探しました。前述の通り、初期研修先も総合内科に力を入れていましたが、それでも飯塚病院を選んだ理由をお話します。
・守備範囲が広い!
日本どこでもそうだと思いますが、マルチプロブレムを抱えた高齢者の患者さんが入院してくることが多いと思います。そんなとき、総合診療科が入院を引き受け全身管理を行い、適宜専門家に処置をお願いする(例えば消化管内視鏡など)、という文化が飯塚病院にはあります。このように総合診療科の役割が病院の中でしっかりと確立されています。将来的に総合診療科の活躍の範囲をさらに広げることも検討されているようで、非常に楽しみです。
・教育がすごい!
総合診療科の病棟チームに所属していると、月・金は文献ソムリエで有名な清田先生のレクチャーを受けることができます。また火~木は毎朝症例検討を行っています。症例検討やカンファは勤務時間とかぶっていることから総合診療科として学ぶ場を提供してくれているという実感があります。
外来では毎日専攻医がみた症例を全症例振り返り、フィードバックをもらえます。さらに専攻医・ヤングスタッフで、ジャーナルクラブや症例検討も行っており、科全体で勉強しようという雰囲気を感じます。このように学習の機会は多いですが、どこにいようとも、そもそもどの先生も教育上手、教育好きなところがあり、自然と学びにあふれる日々を過ごせます。
・層があつい!
初期研修医、専攻医、ヤングスタッフ、スタッフとどの層も優秀でかつ人員も多く、バックアップ体制もしっかりしており、不安のない研修を送ることができます
・ON,OFFはっきり!
総合診療科ローテーション中は、病棟では当直明けが休みです。休日当直は最低限の人数で回し、それ以外は完全OFFなど、自分の時間を確保することができます。休息、医学以外の勉強、趣味などに時間を使うことができます。まだまだいいところはたくさんありますが、ぜひ病院見学にいらっしゃったときにお話しましょう。
なお私は現在「後期研修医」という立場で1年間働いており、2022年度より「専攻医」として、飯塚病院で引き続き内科専門医の資格を取るための3年間のプログラムに入る予定です。
1年単位の「後期研修医」は
 “飯塚病院でとりあえず働いてみたい人”
 “内科系専門科や外科系に進む前に内科全般を学びたい人”
こんな人におすすめです。いろいろな働き方ができる飯塚病院に、皆さん是非お越しください!


原田 卒後3年目(執筆当時)
現在の診療科:GIM

めっきり涼しくなった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
飯塚病院 総合診療科 後期研修医の原田愛子と申します。私は生まれてから初期研修終了まで、島根県で過ごしました。
初期研修2年目に “専門科も良いけど、内科ももう少し勉強したいな…” と進路を悩みに悩みました。そんな中、とある先生方に背中を押していただいたことがきっかけで、生まれて初めて島根県を飛び出し、後期研修より 飯塚病院 総合診療科 でお世話になっています。
飯塚病院 総合診療科 では屋根瓦式に上級医のサポートや教育を受けながら、シャワーのように日々幅広い疾患を経験させてもらっています。今年度は初期研修医の指導にも携わらせてもらい、診療だけでなく医学教育を学ぶ機会も頂きました。まだまだ未熟ですが充実した日々を過ごしています。
また、当院では東京ベイなど他施設の後期研修医も短期間ローテートしています。新しいつながりができるだけでなく、たくさんの刺激をもらっています。
飯塚病院に来て1年半とまだまだ短いですが、たくさんの経験ができました。
「内科を勉強したいけど、どうしたらよいかな」などと進路に悩んでいる方、一度見学にいらしてみませんか?ぜひお待ちしています。