初期研修医

先輩の声

伊藤 駿

伊藤 駿
伊藤 駿(2023年入社)

はじめまして、飯塚病院初期研修医2年の伊藤駿と申します。このような貴重な掲載の機会をいただき心より感謝申し上げます。

私は愛知県名古屋市で生まれ育ち、大学の6年間は沖縄で過ごしました。沖縄は少し歩けば青い海が眺められる環境でしたので、山に囲まれた飯塚に最初に来たときは戸惑いました。ただ今はそんな環境にもすっかり慣れ四季を感じる緑もいいなと感じています。

さて初期研修も残すところあと少しとなりました。私が研修する飯塚病院は筑豊地域唯一の3次救命救急施設であり重症を含め幅広い疾患を抱えた患者さんが来院されます。また30年以上の臨床研修の歴史があり、手厚い指導体制の下で充実した研修を送っています。
色々と失敗のエピソードもありますがその度に指導医によって助けられており、また他職種の方にも度々ご迷惑をおかけしながらもフォローいただき、なんとかここまでこれています。医療は様々な人の力があって成り立っていると日々実感します。

研修を振り返るとやはり思い出されるのは患者さんとのエピソードです。特に90代の女性患者さんとの出会いは深く印象に残っています。元々ひとり暮らしをされていた方で息切れが激しいことをご家族が心配し受診され、慢性心不全の増悪で入院となっていました。患者さん本人は特に自覚症状がなかっため渋々入院され、入院後もことあるごとに「早く家に帰りたいです」と訴えておられました。治療の効果もありその後は徐々に状態は改善傾向にありましたが、入院が長期間に及んだためリハビリも必要な状態となり、またご家族も患者さんひとりでの生活に不安を感じておられ、施設入所を検討することになりました。ずっと家に帰りたいとお話ししていたので調整に難渋するだろうなと思いましたが、ご家族の説得もあり数日後には「決めました。施設に入ります。」と意外にもあっさりと決断されました。
退院が近づいたある日のこと、回診でいつものようにお話を伺っていると突然「もう何もしなくてもいいんです。本当は家に帰りたい。だけど色々な人に迷惑をかけるから施設に入るのは仕方ないですね」と堰を切ったように涙を流して話されました。あまりにも突然のことだったのでかけるべき言葉も見つからず、ただうなずくしかできなかったことを今でもよく覚えています。
入院中にお会いする患者さんはその人の一部分でしかなく、患者さんには生まれてから現在まで築いてこられた人生があり、考え方がある。その当たり前の事実を忘れかけていたこと、患者さんが抱える思いにもっと早く気付けなかったのか、何かできることはなかったかと深く反省しました。
入院というのは患者さんの長い人生からみれば短い時間でしかないのかもしれません。そのわずかな時間の中で、患者さんにはじめてお会いした自分がその方の人生を決定づけるような方針の決定に関わっていいものか迷う時があります。しかし医師という、人の人生を左右してしまうような立場にあるからこそ、その方の背景にできる限り思いを馳せること、また最善の選択をするために常に勉強を続けなければならないと強く感じます。

来年からは専攻医としてより一層責任ある立場になりますが、「自分は患者さんにとって最善を尽くしているか。」自問自答しながら、一歩ずつ進んでいけたらと思います。