明治末期- 伝染病流行

当時、日本は全国的に防疫体制が整っておらず、コレラや結核、赤痢などの伝染病が大流行していた。
筑豊地域も例外ではなかった。患者や死者が増加、大きな社会問題の1つになりつつあった。

創立者- 麻生太吉

この時代背景のなか立ち上がったのが、現在の飯塚病院の創立者、麻生太吉。「郡民のために良医を招き、治療投薬の万全を図らんとする」という精神のもと、“地域医療と住民の福祉に貢献したい”という一心で、郡に代わり病院の設立を申し出た。危機的状況の中でのこの申し出は郡議会でも満場一致で受け入れられ、こうして麻生太吉は病院開設への一歩を踏み出した。

1910年- 病院竣工

病院建設の申し出から2年後、麻生太吉は現在に換算すると約15億円をかけて、病院を竣工。
当時、白いレンガ造りの建物は東京の日本赤十字社中央病院と並ぶ、“東西の2大病院”と呼ばれた。診療開始に向けて全国から多くの新進気鋭の医師が赴任した。

1918年- 診療開始

しかし、一部から思いもよらぬ開設反対を受け、実際に診療を開始したのは病院竣工から約10年後。当時、主力であった石炭事業の麻生商店を株式会社へ組織変更したことを機に、1918年8月9日、社内従業員とその家族を 対象に“麻生炭坑病院”として、診療を開始。

1918年- 麻生看護大学校 開設

診療開始と同時に看護婦の養成を開始。第1期生は7名。1935年の法改正で指定看護婦養成所となるまでに140名の卒業生を輩出。2012年より、現在の専門学校麻生看護大学校に改称。歴史ある正看護婦養成の看護学校として、現在も飯塚病院敷地内にキャンパスを構える。

1920年- 郡民へ診療開放

“麻生炭坑病院”として診療開始から約2年後、多くの地域住民から受診要望の声が上がった。これを受けて、麻生太吉は一般市民への診療開放を決断。
それを機に、名称を”飯塚病院”と改め、医師・看護師を増員、郡民への診療を開始した。

地域とのつながりと発展

昭和に入り、太平洋戦争が終結するまでの20年間、飯塚病院は施設新設や拡張を重ね、一般市民からの厚い信頼を集めて外来・入院ともにその数を増していった。
1960年には飯塚市ほか近隣六ヶ町立の伝染病院隔離病棟を院内に設置し、その管理・運営を全面委託されるなど、総合病院としての機能をますます充実。地域医療との関係を深めながら発展を続けた。

老朽化と大改修への英断

1965年に入ると建物老朽化の問題に直面。当時は利潤を追求せず、収支はかろうじて黒字になる程度。このような状況での大改修は「ドブにお金を捨てるようなものだ」という反対の声もあったが「設備投資による施設拡充は地域住民のためになる」と説得を受けた当時の社長、麻生太賀吉は大改修を英断。
十数年の歳月をかけ、建物を木造から鉄筋コンクリートにすべて建て替え、飯塚病院は最先端の医療機器を完備した最新鋭の総合病院に生まれ変わった。

1982年- 全国唯一の事例 救命救急センター設置

当時、厚生省の計画のもと、福岡県では北九州・福岡・筑後・筑豊の各地域にそれぞれ救命救急センターを設置する計画が推し進めら れていた。筑豊を除く3地区はいずれも設置可能な公的病院が存在。
しかし、筑豊地域には高度機能を持つ公的病院が存在せず、厚生省により私的病院である飯塚病院に設置申し出の声がかかった。こうして私的病院に救命救急センターを設置するという全国唯一の事例が実現した。

1989年- 臨床研修病院 指定

1989年には臨床研修病院の指定を受け、診療機能だけでなく研修医の幅広い臨床診療能力の習得の場として、全国から多くの研修医の受け入れを開始。
「屋根瓦式の指導体制」と呼ばれる、指導医の徹底した教育体制のもと、研修医が医療現場で経験を積みながら、学ぶことのできる環境を整備。2016年には研修医が行きたい病院として九州第1位にランクインしている。

1992年- 現場から医療を改善 TQM活動 開始

1992年より医療の質とサービスの向上および経営の改善を目指したTQM活動を開始。年に1度のTQM活動発表大会では、部署やチームなどで結成された サークルが約半年に亘って取り組んだ改善活動の結果を報告。
25回を越える本大会は毎年院内外から広く注目され、毎回500名を越える多くの見学者が訪れる。

TQM活動について

2001年- 国際標準の管理体制を目指して

当時の院長、田中二郎の“目標は世界基準”の言葉と共に飯塚病院では国際標準とされるISOの認証取得を試みる。
2001年には環境保護のISO14001(医療機関では九州初、全国で9番目)、2008年には品質管理全般のISO9001(病院全体での取得としては全国最大規模)、2009年には臨床検査に関するISO15189と次々に認定を取得。
ISOの取得により、国際標準に則って継続的に改善し続ける仕組みが確立している病院であることが認められた。 

2005年- 地域住民のみなさまと共に

地域住民のみなさまと共に地域医療を考え、支えていく活動として、2005年には病院が提供するサービスや役割について地域の方々と意見交換を行う『住民医療協議会』を発足。また、2010年には病気の予防や医療機関との上手な付き合い方を知っていただく、『地域医療サポーター制度』を発足。
筑豊地域が安心して医療を受けられる地域であり続けるために、地域医療のことを真剣に考えてくださる多くのみなさまと共に歩みを進めています。

地域医療サポーター制度について

2008年- 福岡県DMATに指定

2008年、福岡県より「福岡県災害派遣医療チーム(福岡県DMAT)」の指定を受ける。当時、筑豊地域では初の指定。 東日本大震災(2011年3月)や記憶に新しい熊本震災(2016年4月)の際も出動要請を受け、被災地での災害医療に従事した。

海外医療機関との連携強化

医療の質のさらなる向上を目指して、海外トップクラスのさまざまな医療機関との交流提携を締結。
双方の医療従事者が行き来することによる、共同研究や医師の研修指導体制の拡充など、お互いの強みを相互に教え、学び合う機会ができ、さらなる医療の質の向上につながっている。

詳しい提携内容について

2012年- 北棟竣工

入院・外来患者さんの増加に伴い、受診環境のさらなる向上を目指して、新棟の増設を決断。地域住民に名称を公募し、2012年、ついに新棟 『北棟』が完成。
“健やかな母親とこども達、安全と安心の未来につながる地域環境をつくろう” をコンセプトとし、スタッフステーションを中央に、それを取り囲むように病室を配置する”“クローバー型病棟”を日本初採用。これにより全ての病室に目が届くようになっただけでなく、全ての病室が窓に面して明るく、機能的かつ患者にも優しい環境を提供できるようになった。

2013年- 福岡県総合周産期
母子医療センターに指定

2013年、福岡県より「福岡県総合周産期母子医療センター」の指定を受ける。当時、福岡県では7番目、筑豊地域では初の指定。筑豊地域の基幹病院として、ハイリスク妊娠の管理、胎児異常の診断、流早産治療などに積極的に取り組んでいる。

2018年- 日本一のまごころ病院を目指して

飯塚病院の設立の精神“郡民のために良医を招き、治療投薬の万全を図らんとする”。創立者麻生太吉が唱えてから、2018年で飯塚病院は100年を迎えます。
飯塚病院ではこれからも地域のみなさまと共に100年前と変わらぬ精神で、日本一のまごころ病院を目指して、まごころ医療・まごころサービスを皆様にお届けするための努力を続けてまいります。

院長あいさつ

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    -GREETING-

     筑豊富士とも呼ばれるボタ山は、石炭で栄えた筑豊の歴史を語っています。当時、この地域には専門的な医療を提供できる病院がなく、高度な診断治療を必要とする病人は、家族の方が荷車や馬車に乗せ、八木山峠を越えて福岡市の大学病院に運んで…

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    • 2017.08.01 100周年記念サイトを開設いたしました。